平成28年4月29日(金) 私は6段に昇段した。
平成20年春の審査会から、春・夏・秋と皆勤賞で受け続け、8年24回目での合格だった。
よく諦めずに受け続けた。継続は力なり。多くの方々から祝意とお褒めの言葉を戴いた。
自分なりの6段の剣道を目指して稽古を続け、審査を受ける。
そして、落ちる。
初めの審査から数回は、思い通りにすら出来なかった。
審査会特有の極度の緊張感に頭は真っ白になり、
短い時間の中で自分の実力を出し切る事が出来なかった。
そんな思いが何回続いただろうか。
毎回、自撮りでビデオ撮影をしては、先生方や先輩方、同輩に見て貰う。
自分でも思う、自分の足ら無き点や、思い通りに出来なかった点。
他者の目から見た、足ら無き点。アドバイス。
納得もするし、なるほど!と、新たな気付きも有る。
それを課題に、また次の審査会を目指して稽古を積んでいく。
そして、課題を少しずつ自分のものにして、今度こそと審査に向かう。
落ちる。
自分の目指した課題は間違いだったのだろうか?
自身の生き方、存在すら否定された気分に陥る。
そしてまた、ビデオを見直し、課題を見付け、稽古する。
この繰り返しに、半年スパンで実力、気付きの向上を実感できる。
また、剣道を始めて20年以上経つのに、まだ、知らなかった攻め方や打ち方、
自分向きの構えなどとも出逢える。
剣道の奥深さ、楽しさを再確認する。
「これで良い」と、いうステージが存在しない。現在(いま)ヨシ!と思えても、
今日、1本取れても、同じ気持ち、同じ攻め方、同じ打突をしても、同じ相手にすら
適う時と適わない時が有る。
また、極めた!と、錯覚する程、打てる時もある。
飴とムチ?一喜一憂?の繰り返しの日々。
また、「あっ!分かった!!」とか、「なるほど!」と思える機会も、
たった1回の稽古だったり1回の試合だったりする。
何十、何百という稽古の機会。その中の1回である。
それに出会えるかどうかも、タイミング次第。ゆえに、稽古や試合を積むしか無いのである。
ただ、回数こなせば、それと出会える訳では無い。求めるがゆえに、それは降ってくる。
その機会を逃さぬために、必死で考え、必死で努力し、必死で稽古を続けるのである。
体調、仕事、気分、立ち止まりたい、逃げたい気持ちにもなる。
しかし、やれば必ず届く。やらなきゃ、現状維持すらままならない。
どこにも所属せず、子供達に剣道指導をしていなければ、審査を受け続ける事も、
稽古を続ける事も、止めていただろう。
もしくは、5段で良しとしていたかも知れない。
それでも受け続けたのは、小林栄一先生より受け継いだ南足柄剣友会指導者の一員として、
子供達や後輩達に恥じぬ実力、段位、人格を身に付けねばと、その一心のみだった。
相手に何も出来ない程、相手が強い訳では無い。相手に攻められるでも無く、打たれるでも無い。
しかし、攻めれない、打てない。相手は弱い。けど、自分も同様に弱い。
そこから抜けた、審査が20回に近付いた頃から、相手を弱く感じるようになっていた。
心に余裕が、自信が付いてきて、実力的にも思うように自身の剣道が審査で出来るように
なってきたからだ。4段も4回くらい、5段も4~5回受けての合格だったが、これらも、
受かる頃には同じように感じたものだった。
合格した瞬間、いつもはその白い紙に自分の番号は無いのに、今回は有った。
3度、自分の垂れネームの番号と合格発表の紙に書かれた番号とを見直した。
やはり、有る!受かった!受かったのだ!!
湧き上がる大きな喜び・・・それよりも、「ホッとした」安堵の気持ちの方が大きかった。
ようやく、自分は合格したのだ。子供達や後輩達に報いる事が出来た。
8年24回は長かった。
ご指導くださった、応援してくださった、ご心配くださった小林先生、小嶋先生がご存命の間に
昇段のご報告が出来なかった事だけが悔やまれる。
小林先生、小嶋先生、亀井先生、狩野先生、お陰様で昇段出来ました。
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