2016年5月29日日曜日

6段昇段

平成28年4月29日(金) 私は6段に昇段した。

平成20年春の審査会から、春・夏・秋と皆勤賞で受け続け、8年24回目での合格だった。

よく諦めずに受け続けた。継続は力なり。多くの方々から祝意とお褒めの言葉を戴いた。

自分なりの6段の剣道を目指して稽古を続け、審査を受ける。

そして、落ちる。

初めの審査から数回は、思い通りにすら出来なかった。

審査会特有の極度の緊張感に頭は真っ白になり、

短い時間の中で自分の実力を出し切る事が出来なかった。

そんな思いが何回続いただろうか。

毎回、自撮りでビデオ撮影をしては、先生方や先輩方、同輩に見て貰う。

自分でも思う、自分の足ら無き点や、思い通りに出来なかった点。

他者の目から見た、足ら無き点。アドバイス。

納得もするし、なるほど!と、新たな気付きも有る。

それを課題に、また次の審査会を目指して稽古を積んでいく。

そして、課題を少しずつ自分のものにして、今度こそと審査に向かう。

落ちる。

自分の目指した課題は間違いだったのだろうか?

自身の生き方、存在すら否定された気分に陥る。

そしてまた、ビデオを見直し、課題を見付け、稽古する。

この繰り返しに、半年スパンで実力、気付きの向上を実感できる。

また、剣道を始めて20年以上経つのに、まだ、知らなかった攻め方や打ち方、

自分向きの構えなどとも出逢える。

剣道の奥深さ、楽しさを再確認する。

「これで良い」と、いうステージが存在しない。現在(いま)ヨシ!と思えても、

今日、1本取れても、同じ気持ち、同じ攻め方、同じ打突をしても、同じ相手にすら

適う時と適わない時が有る。

また、極めた!と、錯覚する程、打てる時もある。

飴とムチ?一喜一憂?の繰り返しの日々。

また、「あっ!分かった!!」とか、「なるほど!」と思える機会も、

たった1回の稽古だったり1回の試合だったりする。

何十、何百という稽古の機会。その中の1回である。

それに出会えるかどうかも、タイミング次第。ゆえに、稽古や試合を積むしか無いのである。

ただ、回数こなせば、それと出会える訳では無い。求めるがゆえに、それは降ってくる。

その機会を逃さぬために、必死で考え、必死で努力し、必死で稽古を続けるのである。

体調、仕事、気分、立ち止まりたい、逃げたい気持ちにもなる。

しかし、やれば必ず届く。やらなきゃ、現状維持すらままならない。

どこにも所属せず、子供達に剣道指導をしていなければ、審査を受け続ける事も、

稽古を続ける事も、止めていただろう。

もしくは、5段で良しとしていたかも知れない。

それでも受け続けたのは、小林栄一先生より受け継いだ南足柄剣友会指導者の一員として、

子供達や後輩達に恥じぬ実力、段位、人格を身に付けねばと、その一心のみだった。

相手に何も出来ない程、相手が強い訳では無い。相手に攻められるでも無く、打たれるでも無い。

しかし、攻めれない、打てない。相手は弱い。けど、自分も同様に弱い。

そこから抜けた、審査が20回に近付いた頃から、相手を弱く感じるようになっていた。

心に余裕が、自信が付いてきて、実力的にも思うように自身の剣道が審査で出来るように

なってきたからだ。4段も4回くらい、5段も4~5回受けての合格だったが、これらも、

受かる頃には同じように感じたものだった。

合格した瞬間、いつもはその白い紙に自分の番号は無いのに、今回は有った。

3度、自分の垂れネームの番号と合格発表の紙に書かれた番号とを見直した。

やはり、有る!受かった!受かったのだ!!

湧き上がる大きな喜び・・・それよりも、「ホッとした」安堵の気持ちの方が大きかった。

ようやく、自分は合格したのだ。子供達や後輩達に報いる事が出来た。

8年24回は長かった。

ご指導くださった、応援してくださった、ご心配くださった小林先生、小嶋先生がご存命の間に

昇段のご報告が出来なかった事だけが悔やまれる。

小林先生、小嶋先生、亀井先生、狩野先生、お陰様で昇段出来ました。


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