2011.11.6
平成23年6月4日 午前4時32分 当会会長 小林栄一先生(89歳)ご逝去
我らが師 小林栄一先生に捧ぐ
ふとした瞬間、先生の穏やかなお顔が瞼に浮かぶ。
もう、お話出来ないのだな。笑って頂けないのだな。叱られたり出来ないのだな。
寂しい限りです。
後年、先生と面を着けての稽古を戴く機会は数少なくなってしまったけれど、教わった基本通りに真っ直ぐに攻め入り、打突を放つ。
若く、速く、遠くから放つ僕らの打突は、先生の面や小手を叩くことが出来る。
それでも、当たってしまうから詰まらない。とは思わない。
時間の限り、真剣に、先生への打突を狙う。
「小手なりっ!」「胴!!」
先生の竹刀が走る。
打たれた。この打突も、良い感じにスピードも有り、真っ直ぐに攻めての打突だったのに、「パカンっ」という乾いた音のする見事な打突。
参った。さすが、師匠(せんせい)だ。やはりまだまだ僕らの敵うところでは無いのだ。
稽古を戴く度に、毎回そう思ったものだ。
背が高く、ダンディーだった先生。胴着・袴や防具の着装にはよく注意もされたし、手ずから直されたりもした。
剣友会の創立30周年、40周年の記念大会では、紋付袴で演武をやらせて戴いたが、この紋付袴の着け方もなかなかに難しい。
やはり、先生に教わり、面倒を見て頂いた。
ある日、道場連盟の賀詞交歓会に出席する先生のお供をすることになった。
先生はキチンとした正装をされており、僕らはジーパンはさすがにマズイと、正装っぽい私服で臨んだ。
結果・・・怒られた(^^ヾ
服装や見た目も、その人の品格を表すもの。その場には、その場に相応しい格好が有る。
剣友会では、小林先生が先生。僕らも、先生と呼ばれる年齢になってしまった。
僕らの中では、頂点に小林先生という、僕らに剣道を教えてくださった先生が存在しており、僕らはその1段下で、先生の下で自己の稽古と、指導を学ばせて戴いているという感覚なのだ。
ところが、小林先生の中では、すでに先生も我らも、同格で、剣友会で子供達の指導にあたっている。
そのように思ってらっしゃったようで、度々、「先生」と1段上げる僕らと、同格なのだと並列に物事を考える小林先生との中でお互いを尊重・敬愛し合戦みたいな会話になったものでした。
自分の教え子を、成長したと認め、喜び、同列と見なす先生の度量や器の大きさは、やはり、僕らの目指す師匠(せんせい)でした。
先生、見てらっしゃいますか?聞こえてますか?
また、先生と、お話したいです。先生と一緒に、剣道したいです。しかし、叶いません。
こんな時、先生だったらどう思われただろうか。先生だったら、どうしただろうか。そんな風に自問自答する時、僕らは、瞼の中で、先生とお逢いする事が出来ます。思い出す事が出来ます。
数多く、先生から言われた言葉、教えて戴いた事、先生を見てきて、傍で過ごさせて頂いて、記憶の奥底に先生の魂を受け継いでいます。
師匠(せんせい)への感謝を忘れずに、一瞬一瞬、一日一日を、基本を忘れずに真っ直ぐ歩いて行こうと思います。
小林栄一師匠のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
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