2013年2月24日日曜日

古き習慣

2010.12.31

12/29、床屋に行きました。
母から、「少し伸びて来たから行ったら?」と、言われたので行きましたが、いつもなら、あと半月後くらいが切りに行くタイミング。
しかし、特に反意無く、床屋に行きました。
新年を迎えるにあたり、年末までに身奇麗にする。
これってお祖父ちゃん、お祖母ちゃん、お父さん、お母さんの時代以前からの習慣と言うか、文化なのでは無いかな?
大掃除は、学校でも会社でも自宅でも、行う年末の鉄板行事。
年末には自家用車も洗車する人が多く、ガソリンスタンドも激混み!
元旦には朝風呂で身を清めてから新年の挨拶をします(管理人宅だけか?)
当たり前の感覚でいたけど、時代は流れ、最近はそういった感覚も少しずつ薄れ始めているのかな?
床屋さんも言っていました。
昔は、12月15日~31日までお客さんが集中し、逆に1月にはほとんどお客さんが居ないくらい、それくらい年末に床屋に来る人が多かったと・・・。
まあ、良し悪しで、上記の習慣・文化が薄れた事により、集中してお客さんが来る事も和らいだけど、1月もそこそこ平均してお客さんが来てくれるらしい。
だから、悪い面ばかりでは無いのかも知れません(^^)

先日、中学生に「年末は年賀状も書かなくちゃいけないし、忙しいよな!」と、言ったところ・・・
「年賀状は来た人にだけ出すので、年末は忙しくないです!」と、答えが返って来ました。
「ええっ!学校の担任の先生や、小林先生にも年賀状、書いていないの???」
管理人が子供の頃は、母に字が汚いと激怒されながら、必死に年賀状や暑中見舞いを書いていたものでした。
床屋さんのお子さんも、同じく、来た人にだけ書くのだと聞きました。
相手も同じく来た人にだけ出すのだとしたら、少しずつ、賀状のやり取りなど、無くなって行くのでしょうね・・・。
そう言えば、管理人のから出している子供への年賀状は2~3枚なのだと、パソコンの住所録を見直して、少し驚きました。
管理人は剣道関係の先生方や職場など、結構出すので、来ないなら来ないで楽では有るけど、時代は変わったのだな~と実感・・・。
さらに、とある中学生の立礼を見ていて、ゆっくりした礼、止まる時間は2~3秒、また戻りもゆっくり。
「・・・礼ってのはパッと礼してしっかり止まり、またパッ戻るものなんじゃ無いか?」
「挨拶とは、一挨一拶(いちあいいちさつ)という禅宗の問答から来ている言葉なのだ」

* 一挨一拶(いちあいいちさつ):「挨」は心を開くとか接近する、「拶」はせまる、近づくという意味

ここまで話して、問答と言うのが分かるだろうか・・・。現代の子には問答を説明する分かり易い例えが無い。
管理人が子供の頃は、「一休さん」で問答をするシーン(「そもさん!」「せっぱ!」)が有りましたし、映画「ファンシィダンス」(本木雅弘/鈴木保奈美)で本木雅弘扮する坊さん役がやはり問答をする場面が有りました。
これらを観て無い子供達には、問答と言う言葉も分かりづらいでしょう。

さて、問答とは、師が弟子に、その成長を確認するため、質問を出し、それに答えるというものです。

「そもさん(問題を出すよ?)」

「せっぱ(お答えします)」

弟子が修行によりどのレベルまで来ているか、またはその日の体調はどうなのか、そういったことを問答により感じ取る。
それゆえ、師匠の質問に対して、間髪置かず答えるのが問答のやり取り。
そこから来たのが挨拶なのだから、ゆっくりのんびりの礼では違うのでは無いか・・・。

まあ、そんなこんなな年末の出来事を通し、昔の習慣や文化が薄れて来てるのだな~と実感した2010年12月でした(^^)
「一休さん」「赤胴鈴之助」「六三四の剣」は放映して欲しいですね(^^)

上記を子供達に強制するつもりは皆無です。
ただ、こうした事が有り、こうした意味が有る。それはいずれ機会が有れば伝えようと思います。

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